2008年9月3日
伝承遊びと貿易
夕刊に絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」の作者が紹介されていました。私も子どものころに読んだ絵本です。(母は私に100冊絵本を読んでくれたらしい)
絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」の作者、加古里子さんは東大工学部卒で47歳で脱サラし、絵本作家となった経歴もおもしろいが、ライフワークが伝承遊びというのもさらにおもしろい。
「子どもたちは遊びを自分たちで変えていき、小さい子どものためにハンディもつけた。独創性と共生を学ぶ場だった」
子どもは遊びの天才
私も小学生までは近所の子どもたちとよく空き地で遊んだし、親がテニスをしている間に同じ境遇でつれて来られている同年代の暇をもてあましている子どもたちとよく遊んだものです。あまり道具はなく、伝承遊びがほとんどだった。
このテニス仲間は、3家族から2人兄弟の6人構成されていて、私が最年長、私よりひとつ年下のゆかこちゃんが次で、その次が男の子、その下は全員女の子で下も同い年だった。この3人は私の妹と同じ、5歳年下。
小学生の頃の5歳の年齢差は大きい。当然同じ遊びをすれば年長が勝つわけだが、それではつまらない。私たちもルールやハンディを工夫をしながら遊んでいたような気がする。
「たかおに」、「いろおに」、「だるまさんがころんだ」などの遊びのみならず、木に登ったり、近くの公園にいったり、近所の家のお庭で勝手に遊んで怒られ、休む暇もおしんでよく遊び、誰かがへそを曲げて泣いたり、兄弟げんかが勃発したり、そういうこともしょっちゅうあった。
大人が入ってきたのは、お昼ご飯か、もう帰る時間で呼びに来た時と、「うるさい!」と怒られるときだけ。ルールがあるようでないようなものだから、勝手に作って遊んでいたようにも思う。独創性と共生を学ぶ、という点において、そういわれてみるとなるほどな、という気がしなくない。
子どもたちができたルールづくりをおとなたちも
ついつい脱線してしまいましたが、なんでブログに書こうかと思ったかというと、ちょうど今読んでるフェアトレードの本の「小さい子どものためにハンディもつけた」というくだりがきっかけ。今の途上国にアンフェアな貿易の仕組みの中で、途上国の国内産業がまだ育っていないのに、ハンディよりも一般的ルール(市場開放)を途上国に押し付けようとする先進国の有様を思い出しました。
子どもにできることが、なぜ先進国はできないのだろうか。ミクロでできても、マクロという国の単位になると難しいのか、それとも国を作っている大人がまずいのか。あるいは、考え違いをしているのか、利益を離したくないのか。
今からでも遅くはないかもしれない。日本のおとなも、独創性と共生を学ぶために、伝承遊びに戻るときかも?
今やったら、どれも結構楽しいかも。。。