もし、22歳のあの夜に一晩寝ないでACE設立趣意書を書いていなかったら。
もし、22歳のあの秋に「一緒にやらない?」と現事務局長の白木に電話していなかったら。
今の私もACEも、児童労働から救出した1000人以上の子どもの笑顔もなかったかもしれません。
そんな私の経験から、あまりにも多すぎる今の社会の心配事を減らすために
「行動を起こす Take Action」することが、思っているよりは難しくないこと、
そして自分の小さな行動が「違いを生みだす make a
difference」することなど、読んだ人が感じ、NPO/NGOに関わり始める一歩を踏み出す「背中ポン」になることを願って、日々のことを綴っているのがこのブログです。
2004年からブログをはじめ、2013年のACEウェブリニューアルにあわせて引っ越しました!
代表ブログの内容は基本的に私個人の意見・思想ですが、ACEの活動紹介・報告の場にもなっています。
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年7月2日
このコラムもいよいよ最終回。「毎週、ネタに困らない?」と聞かれるが、SDGsやアフリカという大きなテーマ、「NGOなんてアマチュア集団よ、やめときなさい」と言われて奮起したエピソードなど、ネタはまだ尽きず、終わってしまうのに寂しさすら感じる。
さて、ここでクイズです。今日のタイトル「投票・買い物・寄付」の共通点は何でしょう。答えは、どれも「未来への投資」であること。
まず投票。遠からず衆院選がある。どの候補者が当選するかは、私たち有権者の一票にかかっている。例えば、自分の未来に選択的夫婦別姓やLGBT差別の撤廃がほしいなら、それを推す候補者を探して、応援することもできる。次に買い物。エシカル(倫理的)でサステナブル(持続可能)な商品を選ぶことも、投票と同じように、その企業を応援し投資していくことになる。
そして、寄付。寄付は自分が欲しい未来への意思表示であり、取り組む人への応援であり、願いを形にして残す未来への投資だと思う。実際、ACEの活動も寄付で支えられ、中には自分の遺産の寄付先として遺書に書いてくださる方もいる。
現在もクラウドファンディングに挑戦中だ。「今こそ、児童労働撤廃」で検索していただけたら、そちらでまたお会いできます。半年間、ありがとうございました。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年6月29日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年6月25日
このコラムを始めたとき「どんなことをいつ書くか、計画しよう」と思っていたのに、結局、毎週、行き当たりばったりで書いてきてしまった。ただ一つだけ、「この日はこれを」と決めてカレンダーに書いておいた日がある。あす六月二十三日の沖縄慰霊の日だ。
私と沖縄の縁はそれほど深くはない。初めて行ったのは二十五年ほど前。那覇から北部までドライブし、車窓の横に延々と続く塀を見て「こんなに基地が占めているのか」と驚いた。そして、コロナ前の数年間は仕事で年に数回、通う程度だった。
あるとき、「最近の学生は慰霊の日のこともよく知らない」と大学の先生が嘆くのを聞き、自分自身が知らなかったことを恥じた。
第二次世界大戦で民間人十万人が犠牲になった沖縄戦が司令官の自決によって、事実上、終わった日が「慰霊の日」である。県民の四人に一人が亡くなったその哀しみも大きいが、何かと本土の政府に虐げられてきた歴史と、それに対する「憤り」と「諦め」、そして、沖縄人としての「誇り」を、ウチナーンチュ(沖縄人)とのふとした会話で感じることがある。
このコラムは結論や解決策が決まっているときは書きやすく、そうではない時は難しい。今回は後者だ。残すところあと一回となったこの連載、さてどう終わろうか。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年6月22日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年6月18日
六月十二日は「児童労働反対世界デー」。それに先立ち、十日に国際労働機関(ILO)と国連児童基金(ユニセフ)が四年ぶりに児童労働のグローバル推計を発表した。
それによると、二〇二〇年初めの児童労働者の推計は一億六千万人。前回から八百四十万人増えているが、五歳から十七歳の子どもの十人に一人が児童労働をしているという割合は変わっていない。このうち、七千九百万人は子どもの健康や安全、モラルの発達に有害な「危険有害労働」に就いているという。72%は家族の中での労働となっていて、これは児童労働の70%が農林水産業ということとも関係していると思われる。
地域的に見ると、サハラ砂漠以南のアフリカ地域だけが数でも割合でも児童労働者数が増えている。この地域の約四人に一人の子どもが児童労働をしていて、八千六百六十万人にも上る。他の地域のすべてを足した数より多い。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって、さらに児童労働が増える可能性もある。各国の政府があらためて予算も含めた措置を強めることが必要だが、どの国も財政事情は厳しい。今年二一年は国連が定めた児童労働撤廃国際年。今こそ、官民それぞれに自らできるアクション(行動)を求めたい。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年6月15日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年6月10日
NGO活動は私の「ライフワーク」で、生活の糧を稼ぐ「ライスワーク」は別だ、と考えていた二十代。NGO活動と両立可能な仕事として、日英通訳を目指し、通訳学校に通っていた。
通訳の花形は国際会議の同時通訳だ。自分で仕事が選べるフリー通訳者になれば、平日にNGO活動もできると考えた。そんなある日、講師の先生から変わった宿題を出された。どんな通訳になりたいか、作文を書いてというのだ。
筆が進まず、困ったなと思いながら、私の頭の中に浮かんだ絵は、国際会議で黒い通訳ブースに入り活躍する通訳者ではなく、その国際会議の表舞台で、児童労働について語る自分の姿だった。通訳の仕事は嫌いではないし、勉強や訓練を重ねれば生計を立てられそうな手応えはある。
でも、気づいてしまったのだ。私が本当にやりたいことは、これではないと。そして、私は選んだ。二〇〇七年から、現在のACEに給与をもらって、専従で活動するようになった。
ACEの代表として、一七年にアルゼンチンで行われた児童労働の国際会議に出席した。私はそこでアルゼンチンの大臣と肩を並べてパネルディスカッションに登壇し、私の英語のスピーチは国連公用語の五カ国語に通訳された。すっかり忘れていたが、あの時、思い描いた絵が現実のものになった瞬間だった。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年6月8日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年6月3日
ユニクロの綿シャツが米国で輸入差し止めになっている。理由は人権。米国は中国の新彊ウイグル自治区の人権侵害を重くみて、「強制労働」があるとして、二〇二〇年十一月三十日に米税関・国境警備局(CBP)が違反商品保留命令(WRO)を出し、自治区内の綿と綿製品を輸入差し止めの対象とした。これに当たらないと、ユニクロを展開するファーストリテイリングは解除を求めたが、拒否されている状態だ。
企業がグローバルな規模で事業を展開し、一国の国家予算を上回るような経済規模になると、CSR(企業の社会的責任)が叫ばれるようになった。そこから一歩進んだのが、一一年の国連「ビジネスと人権指導原則」である。国家の人権を保護する義務と同時に、企業にも人権を尊重する責任を求め、企業の責任の範囲が拡大した。
これを受けて、企業のサプライチェーン(供給網)に強制労働や児童労働の人権侵害がないか、確認するプロセスを法律で促す国が相次いだ。
欧州連合(EU)では、人権と環境の両面から企業にそれを求める法律がいま審議中だ。実は、環太平洋連携協定(TPP)にも強制労働によって生産された物品を輸入しないよう奨励する条項がある。しかし、日本にはそれに関する法律はない。そろそろ、日本も議論を始めたほうがいいのでないかと思っている。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年6月1日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年5月28日
私が代表を務めるNPO法人「ACE」は現在、十六人の全職員が在宅勤務をしている。コロナ以前も在宅勤務制度はあり、データなどはオンラインで自宅からもアクセス可能だったが、二〇二〇年七月に、完全に事務所を手放した。対面での関係先への訪問も一部あるが、ほとんどはオンラインで済む。会議室を借りてスタッフで集まる時もあるが、基本はすべて自宅か、サテライトオフィスからオンラインで業務をしている。
完全フレックスタイムのため、午前五時から午後十時の間、好きな時間に働けばよい。始業時に、社内のオンライン連絡ツールに、その日の体調や勤務時間、業務予定を送り、終了時に報告を書く。「今朝は保育園に子どもがなかなか行ってくれなくて」と書けば、「分かります」と、他のスタッフが応える。そんな雑談的なやりとりもそこでできる。
在宅勤務で何より感じる変化は時間の使い方だ。通勤時間がないので、直前まで家事をして、すぐ会議に入れる。子どもが学校から帰ってきたときに「お帰り」と迎えられる。一時間単位で有給休暇も取れるので、保護者会のために、丸一日、休まなくて済む。打ち合わせも、移動時間がないから、以前より多く入れられる。コロナ禍の収束を願うが、働き方は正直、もう以前に戻れる気がしない。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年5月25日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年5月20日
「TRAVELLING WITHOUT MOVING(移動しないで旅をする)」という名のラジオ番組をよく聞く。コロナ前からこのタイトルだが、いまや言い得て妙だ。過去の旅や音楽にまつわるリスナーからの手紙と、ナビゲーターのコメントが旅への渇望を刺激する。
私にも語りたい旅の出会いがある。大学三年の時、米国を大陸横断の列車に乗って、一カ月かけて四分の三周する一人旅をした。どこまでも続く薄茶色の大地を「荒野とはこういうものか」と、車窓から眺める以外にすることがなくなると、会話が生まれる。そこで出会ったご老人は私が日本人だと分かると、「戦時中、飛行機が日本に不時着し、助けられた。だから、恩返しがしたい」と、食堂車でサンドイッチをごちそうしてくれた。
また、ワシントンDCのホロコーストミュージアムの前では、あるご夫妻に出会った。お二人はポーランドの強制収容所に入っていたという。腕には当時、刻印された番号が残るそのおじさんが、にこやかに話した後に言い放った「ドイツ人は嫌いだ」という言葉の重みと、おなかがひんやりする感じを思い出す。
今、イスラエルとハマスの間の報復攻撃で市民や子どもが犠牲になっている。痛みは対立と憎しみを生む。これをどれだけ繰り返すのだろうか。平和への道のりは遠い。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年5月18日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年5月13日
インドは私が最も数多く訪れたことのある国だ。長い時には一カ月近く、短ければ数日間、二十年間にわたり、NGO活動を通じて訪れてきた。
そんな縁深いインドに夫が赴任となり、二〇一九年十二月に引っ越した。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって、二〇年三月に告知から四時間後に突然の全国ロックダウン。テレビでは警察が厳しく取り締まり、バイクに乗っている人を棒でたたくなどの映像が流れる。実際にドライバーが警察が怖くて家から出られず、また、許可のある車両しか道路を通れないため、買い出しにいけない。オンラインショップには注文が殺到し、注文したものが届かない。水や食料の確保が最重要ミッションとなった数週間を過ごした。
そんな経験を経てスーツケース五個で緊急帰国した昨年四月から一年がたつ。数カ月したら戻るつもりの仮住まいが、家財道具一切を残してきたインドの家よりも馴染んでしまった。
人生には、「のぼり坂、くだり坂、ま坂」があるという。新型コロナの感染拡大は世界中の人にとって「まさか」であった。私も、まさに、まさかの最中である。インドは一日の新規感染者数が四十万人を超え、世界最多を更新中だ。連日、「病院に入れない」「酸素がない」など、悲痛な叫びが耳に入る。インドのみなさん、どうかご無事で。早い終息を祈る
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年5月11日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年4月30日
日本は世界に誇れる育児休業制度を持っている。育児休業給付金は給与の67%から50%を支払う制度だ。ただし、それは「雇われている」立場の人だけに限られていることをご存じだろうか。その理由は財源。雇用保険料から支払われるため、雇用主、個人事業主などには適用されない。男女かかわらずだ。
女性でNPOの代表理事を務める友人たちの中には、それを理由にいったん代表の座から退いた人もいる。私自身、育児休暇を取る際、頭をよぎったが、制度に合わせて代表を降りることに抵抗を感じて、踏みとどまった。女性三人が共同代表を務め、それぞれ出産・育児休暇を取っていた会社に聞いたら、育児休業が適用されない雇用主の女性には、会社負担で手当を出したという。
諸外国を見ると、フランス、オランダ、ノルウェー、スイスなどは個人事業主にも、国からの育児休業補償があるという。フィンランドは休業補償だけでなく、働いていなかった人にも手当がでる。
少子化、労働力不足という日本のダブルパンチ克服に向け「女性も輝いて」と言われたが、この育休問題が足かせだ。子どもを産んで、かつバリバリ働きたい意欲ある起業家の女性が子どもを持つこと、二人目を産むことを控えることにつながりかねない。日本の少子化対策にぜひ、考慮してほしい問題である。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年4月27日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年4月21日
国連子どもの権利条約をご存知だろうか。一九九八年に採択された条約なので「自分の子ども時代にはなかった」という人もいるだろう。子どもを権利の主体と認め、十八歳未満を子どもと定義している。百九十六カ国・地域が締約し、ここにある子どもの権利を認め、国としてそれを保障する義務を負っている。日本は九四年に批准した。
五十四条ある条文の内容を大まかに分けると、「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」にまとめられる。参加する権利の中には「自分が影響を受ける決定について意見を表明する権利」が含まれる。意見を聴かれ、大人が真剣に受け止める権利だ。子ども自身に関わることだけでなく、決定する政策が未来に影響を及ぼす場合、実は子どもが最も重要なステークホルダー(利害関係者)になり得る。子どもの声を聴き、年齢に応じた参加を家庭、学校、地域社会、そして政策決定の中で実現していくことが、実はこの条約の謳う「子どもにとって最善の利益」を実現する近道なのでは、と感じている。
国連子どもの権利委員会が日本政府に繰り返し強く勧告していることがある。条約を方で裏付ける「子どもの権利に関する包括的な法律」を制定することだ。こども庁の議論が活発化している。批准して二七年間、放置されてきたこの宿題も忘れてはならない。
NPO「ACE」代表 岩附 由香
(2021年4月20日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年4月13日
私は東京の桐朋学園で小、中、高校時代を過ごした。作曲家の小澤征爾さんの出身校として音楽大学が有名だが、普通科もある。女子高の卒業生は日本初の女性旅客機パイロット、写真家やオリンピック選手など、多方面で活躍している。
いま振り返って、ありがたかったなと思うのは学校のおおらかさ。小学生のとき、三年生の担任の先生がみんな大好きで、年度末になると、職員室に行き、担任を変えないようにお願いし、結局、卒業まで四年間、受け持ってもらった。学校の慣習を越え、子どもの声を聞いてくれた。
中学二年生のとき、当時、流行った漫画に感化され、私の髪の色が茶色になった。昭和六十一年、まだ大人も髪を染めるのが普通じゃない時代、どう考えても目立った。しかし、担任の先生は「岩附、やっぱり髪は黒い方がいいな」と一言いっただけ。学内で問題になっていたはずなのに、学年の先生方に守られていた気がする。その夏に米国へ転居したので、私の茶髪問題は解消した。
帰国した高校時代は体育祭や文化祭に情熱を燃やした。エネルギーを持て余し、枠から外れがちな私でも受け入れられていた感覚がある。ノーベル平和賞を受賞したのマララさんのお父さんの言葉を借りれば「翼を折らない」ということか。今の私の羽ばたきは、この学校の個性をつぶさないおおらかさの延長にある。
NPO「ACE」代表 岩附由香
(2021年4月13日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年4月6日
さぁ、新年度だ。新しい学校、職場でスタートを切る人も多いと思う。私も二十数年前、晴れて志望の大学に入学を果たし、意気揚々だった。ところが、一言でいえば「思ってたんと違う」。ほかの大学に行っている友だちがキラキラして見える。とにかくここを脱出しようと、交換留学の希望を出した。まだ演習の「B」と体育の「A」しか成績が出ていない一年生の夏に。
人気の留学先は成績優秀な上級生たちがその一、二席を争う。一年生での応募は極めてまれで、分が悪い。だから、異例の七人枠があった米国のマイアミ大学を第一希望にした。
うまく合格でき、十カ月を過ごしたマイアミの留学生活は実に楽しかった。その留学期間を終えて、一カ月間、アメリカ一人旅をした。
立ち寄ったメキシコで、子どもの物乞いに会った。少し離れたところで、お母さんらしき人が空を見つめている。「なんで、子どもにこんなことをさせるのだろう」。このときに感じた怒りと残念さが原点となり、国際協力の道を志した。
もし初めから楽しい学生生活だったら、この出会いはなかった。だから、学校や会社が志望や期待通りじゃなくても、腐らず、顔を上げ、見渡してみてほしい。まだ見えていない未来につながる道があなたをきっと待っているから。
NPO「ACE」代表 岩附由香
(2021年4月6日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年3月31日
日本では婚姻時、96%は女性が姓を変えている。その変更手続きにかかる時間は膨大だ。私の場合は組織の代表ということもあり、登記など役所への変更届も多く発生した。
十九日に岡山県議会で夫婦別姓反対の意見書が可決された。「家族の絆」「子どもに悪影響」など、科学的根拠のない感情論には反論する気もうせる。ただ、気になるのは「旧姓を通称で使い続ければいい」という考えだ。
旧姓の「岩附」を通称として仕事で使い続けた理由は継続性。このインターネット時代、変えた姓で検索しても、過去にメディアに掲載された自分の記事などが出てこなくなることを危惧した。自分のキャリアが分断される気がしたのだ。
実際、困る場面も出てきた。パスポートを登録すると、その名がそのままネームタグに使われてしまう国際会議や、自分が岩附由香であることを証明できるIDがないことなどだ。事務所に東京都のNPO担当者から電話があったとき、受けたインターンさんが私の本名を知らず、「そのような名前の者はおりません」と答えてしまったという笑い話さえある。
これはどっち?という迷い、説明の手間、行き違いによる雑務と不利益、そして、二つの名前を生きる違和感。だから、通称じゃ、困るんですよね。
NPO「ACE」代表 岩附由香
(2021年3月30日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年3月23日
「岩附(いわつき)」という名字は旧姓で、結婚して戸籍上の本名は夫の姓になったが、仕事はそのまま旧姓で続けている。
どの場合にどちらの名前を書くか。迷うのが家族で出す年賀状だ。友人や親せきが中心だが、私の仕事関係の人も多少いる。そこで、○○由香(岩附)と、かっこで旧姓を併記していたが、それをうっかり忘れた次の年、大学院時代の指導教授からの年賀状の宛名に私の名前はなく、面識もない夫の名前が書かれていた。私の存在は、きれいさっぱりなくなっていたのだ。
先日、「手紙の書き方」を学習中の小学二年生の娘から、私宛のはがきが届いた。宛名は本名の名字が書いてあったが、よく見ると、その下にうっすら「いわつき」を消した跡がある。どうやら娘は不安になって、通学時にこっそりパパに確認し、夫の姓に書き直したらしい。
娘に聞くと「だって、会社で『いわつきさん』って言われていたでしょ。だから、ママのなまえは『いわつきゆか』なのかと思ったの」。
実は、娘を伴って「子連れ出勤」したことが何度もある。会議であれ、イベントであれ、母が仕事で何と呼ばれていたのか、ずっと見聞きしてきたのだ。そうだよね、「いわつきゆか」でも、普通に郵便が届くようになるといいよね、と思う。
NPO「ACE」代表 岩附由香
(2021年3月23日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年3月17日
「時計の針を戻せたらいいのに」と、あんなに強く願ったことはなかった。二〇一一年三月十一日。震災発生後、徐々に明らかになる被害の大きさに衝撃を受け、原発事故の影響に恐れながら、何度も冒頭の言葉を自分の中で繰り返した。
私が代表を務めるACEは国際協力を生業とし、災害対応は専門外。それでも「何かを」と、五月から宮城県山元町の災害ボランティアセンターの運営支援に入った。東北の湘南と呼ばれた地域は家ごと根こそぎ津波でさらわれ、多くの人が犠牲となった。現地で一緒に仕事をしたのは、被災し、家族や仲間を亡くした人たちだった。
NPOや企業、社会福祉協議会が立場を超えて協力し、全国から多くのボランティアを受け入れた。その後も交流は続き、一昨年に訪れた町は駅もでき、家も建ち、確実に前進していた。でも、痛みはどれだけ癒やされたのだろうか。
この原稿の結びに迷っていると、携帯電話が鳴った。「十年の区切りなんで、お世話になった方々に電話をね」。声の主は山元町のあの人。「ああ、(亡くなった)あの人の年になったなって感じっす。いろいろあるけど、その分もね、生きていこうかと」。その明るい声が、何もできてない感に勝手にさいなまれ、暗かった私の心と原稿の結末に明かりをともしてくれた。そんな十年を迎えた3・11だった。
NPO「ACE」代表 岩附由香
(2021年3月16日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年3月10日
「奥さま」と呼ばれるのが苦手だ。「主人」も使わない。久しぶりの友人とのやりとりで私の夫を「ご主人さまが」と繰り返し言及するメッセージが来たとき、つい「いや、私の主人じゃないし」と返してしまったことさえある。
初めての就職は大阪にあった非政府組織(NGO)で、一九九九年当時にしてはジェンダーセンシティブな職場だったので、「おつれあい」という言い方が常だった。これは相手のパートナーが異性か同性かも問わないし、便利な言葉である。ただ、相手によっては耳慣れず、聞き取れないこともあるので、面倒になり「○○さんの奥さまは」と会話で使う時もある。
子どもが保育園に通うようになり、新たな「属性で呼ばれる」慣習に直面した。「○○ちゃんママ」である。子どもからそう呼ばれるのはいい。でも、親同士でそう呼び合うことに居心地の悪さを感じてしまう。そんなに目くじら立てることはないのに、とも思う。
でも、なぜ、属性で呼ぶのだろう。私は名前で呼ばれたい。三月八日は国際女性デー。女性の権利を考えるこの日に、これほどまでの抵抗感が一体どこから来るのか、考えてみた。私は誰かの妻、母、娘、そんな「役割」の前に、「ひとりの人」として認められ、関係を構築したい。そう願っているのだと気づく。
NPO「ACE」代表 岩附由香
(2021年3月9日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年3月2日
数年前に参加したダイバーシティー(多様性)に関するシンポジウムでのこと。女性役員が少ないと指摘される日本企業が多い中、社内で「女性役員を増やそう」と動くと「女性に下駄を履かせるのかと言われます。どうしたらいいですか」という質問があった。これに対するパネリストの答えに膝を打った。「簡単です。男性の履いている下駄を脱いでもらえばいいのです」。企業、政府の要職を歴任してきた男性の発言だった。
その後、医大の入試で女性は減点され、その分、男性を合格させていたことが発覚した。まさかこんなあからさまな下駄履かせがあったとは。実はこのような差別が見えないところで、たくさん起きているのではないか、と心配になる。
実際、多くの男性は自分の履いている下駄に無自覚だ。いわゆる「オールドボーイズクラブ」もこの一つ。男性同士の非公式なつながりの中で機会の提供や意思決定が行われ、そのネットワークに属さない女性が機会を逃すことを言う。五輪組織委員会の前会長の辞任を一時引き留めたのは、まさにこれだ。透明で見えない「ガラスの下駄」なので、履かせ合っていることにも気づかない。
機会は人を成長させる。機会が女性に少ないと、それだけ能力を伸ばすチャンスを失う。だから目を凝らして足元を見てほしい。ガラスの下駄、履いていませんか。
NPO「ACE」代表 岩附由香
(2021年3月2日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年2月17日
拝啓 森喜朗様。五輪組織委員会の会長をお辞めになりましたが、それで 「女性が多いと、会議が長くなる」など一連のご発言が許されるはずはなく、お便りさせていだきました。
私は重要な会議に、女性が少ないことに違和感を覚えます。最たる例が国会。日本のジェンダーギャップ指数のランクは百五十三カ国中、百二十一位、政治に至っては百四十四位です。「ジェンダー後進国」とされ、今回のご発言で「なるほどね」と世界を納得させてしまいました。
ご発言の裏には「会議に時間がかかるから、女性を増やすのはやめよう。面倒だ」とのお考えがあるように見受けます。日本には、男性中心で、何事も「シャンシャン」と決める会議がいまだに多くあります。会議とは本来「多様な意見」や「本質的な問い」を出し合い、議論して答えを導き出す時間のかかるプロセスではないでしょうか。
また「女性は競争意識が強い」から女性の発言が続くと言っていましたが、私自身、ライバル心から発言したことはありません。「わきまえておられる」というご発言も、ご自身の期待に応える女性が偉いといった「上から目線」を感じます。
ご発言は「これだから、女は」というレッテル貼りそのものです。最後に、四十分も演説されたとか。会議を長引かせたのはあなた様では。わきまえない女より。敬具。
(2021年2月17日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年2月9日
バレンタインと言えばチョコレート。原料カカオは赤道周辺の地域で生産され、最大の生産地は西アフリカ。生産量一位コートジボワールと二位ガーナで計百五十六万人の児童がカカオ産業で働いている。この推計が昨年、米シカゴ大で発表され、多くのチョコレート関連企業を落胆させた。
二〇〇〇年に英国と米国でカカオの児童労働報道が相次ぎ、米国では議員や政府、企業、NGO、消費者団体を巻き込んで「ハーキン・エンゲル議定書」に合意。児童労働撤廃への道筋を描き、取り組みの強化は業界全体に広がっていった。
それから二十年。児童労働の減少はまだ限定的だ。日本に輸入されるカカオは約八割がガーナ産。私たちが口にするチョコレートの多くに児童労働によるカカオが含まれている可能性がある。
消費者にできることの一つが消費行動で態度を示すこと。米国ではボイコットがNGOの常とう手段だったが、私が代表を務めるACEでは「児童労働のないチョコを」をキャッチフレーズに、児童労働撤廃に貢献するチョコを選ぶ「バイ(buy)コット」を呼びかけている。
日本にはサプライチェーンをたどって児童労働の有無をチェックする仕組みを企業に義務付ける法律はない。ならば、意欲的に取り組むブランドを買うことで課題解決につなげる。そんなエシカル消費も一つの方法だ。(NPO「ACE」代表)
(2021年2月9日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)
東京新聞夕刊コラム「紙つぶて」
2021年2月2日
「ニーバーの祈り」と呼ばれるフレーズをご存じだろうか。「神よ、変えられないものを受け入れる心の静けさ、変えられるものを変える勇気、そして、その二つを見分ける英知を与えよ」。真理だと思う。そして、この「見分け」が難しい。
今年初めからオーストラリアの国歌が一部変わった。元の「私たちは若く、自由だ」という歌詞は、先住民のルーツを持つ国民から「入植前から続く六万五千年もの歴史を無視している」と受け取られていた。著名な歌手で、先住民ヨルタヨルタ族出身のデボラ・チータムさんが、それを理由にサッカーリーグ決勝での国歌斉唱の依頼を断ったこともある。この歌詞を「私たちは一つで、自由だ」と変えた。これを発表したモリソン首相は「先住民に敬意を払い、真実を国歌に反映させるのは当然。今こそ『団結の精神』を」という。
国民の声を聴き、国歌の一部を変える。同じことが日本で起こり得るだろうか。難しいだろうなと、つい思ってしまう。いや、もしかしたら私たちは「変えられないもの」を実際より重く考え、「仕方ない」「どうせ無理」と早々に諦めて、考えることを放棄しているのではないか。
もしそうなら「本当に変えられないのかな」と自問する習慣を身につけた方がいいのかもしれない。他人は変えられなくても、自分の思考は変えられるのだから。
NPO「ACE」代表 岩附由香
(2021年2月2日の東京新聞・中日新聞夕刊コラム「紙つぶて」に掲載)