今日は国際オーガニックEXPOのセミナーに登壇。
https://organic-expo.jp/(今週土曜日まで!)
山口真奈美さん(コントロールユニオン日本などで活躍する認証業界の第一人者)からのご指名だったため、
いそいそと出かけていきました。
いろいろなところでご一緒している、先日も事務所に来てくれたばかり(私は喉がはれて
入院してて会えなかった)末吉里花さんと、今日初めてお会いした、温野まきさんと。
15分のそれぞれの発表はみんな時間を守り、残りのトークセッションも真奈美さんの
素晴らしいモデレーションで話しました。
オーディエンスがいなかったらどうしよう、と思っていたのですが、
席を立つ人もほとんどいなくて、立ち見もあり、よかったです。
その中で、森永製菓さんとのコラボの話でオーディエンスから「どのように実現したのですか?」
とご質問をいただいたので、
「児童労働のないチョコを作りたい!っと、なんのコネもないところから願っていて、
まずその願いをもって、それでアンテナを立ててたら、紹介された、言いふらすのも
大事かも」
というような話をさせていただいたのですが、
そうしたら!
トークセッション終了後に、名刺交換をさせていただいた方が、
チョコレートの関係でお会いしたいなぁと思っていた会社の方で!
オーガニックとはそれほどご縁がなさそうな業態の方なので、まさかここにいるとは思わなかった
のですが、私が「この企業とやりたい!」とACE内のMTGで話していたところだったのです。
びっくりー!!!!
そして嬉しいーー!!!!
9月にお会いするアポイントを取らせていただくことになりました。
願っていたら、引き寄せちゃった!っという感じです。
実現したらすごい嬉しいなぁ。
そんな機会をいただいた真奈美さんに、本当に感謝です。
場内でオーガニックコットンを広められている皆さんとご挨拶して、真奈美さんプロデュースOrganic Lifeコーナー
で木のぬくもりが気持ちい家具や画期的なパーティションをいつか使えるといいなと妄想して、
帰途につきました。
About myself 自分のこと日々是発見
2017年8月17日
前回更新からかなり時間がたってしまいました、この代表ブログ。
先ほどACEスタッフでMTGをしていたら「自分がACEのスタッフ募集へ応募するときに、代表ブログを読んで、そこに書いてあるリアルな感じがよかった」という職員のフィードバックを受けました。
更新しなくちゃ、更新しなくちゃ・・・と思ってはいるのです。
でも、つい携帯でさっと更新できるFacebookに流れてしまい、このブログ更新をかなりの間怠っておりました。
講師依頼をしてくださる方の中には、かなり昔の投稿まで読んで、ご依頼してくださる方とか、いらっしゃるんです。
それでもなかなか更新できずにいたのですが、とにかく何も考えず、これといってネタもないけれども、とにかく今日は更新してみよう、と思って、書いてみました。
実はつい最近、喉が腫れて軽く入院したりなんぞしまして、点滴につながれて寝そべっていなくてはならない時間があったもので、この半年を振り返る機会がありました。
人はつい、「できなかったこと」「できていないこと」にフォーカスをあたがちなのですが、この半年間実にいろんなことをやってきたなぁ、と。
特に大きかった変化は、3月に「児童労働に反対するグローバルマーチ」の理事になったことです。この国際組織の理事になったことで、入ってくる情報量と質が1000%ぐらいになり、今年11月に開催される児童労働の国際会議へのアドボカシーを含め、英語で考え、発信する機会がドワッと増えました。
なんちゃって帰国子女ではあるものの、英語を書くこと自体はあまり得意ではないため、メールひとつにとっても、意外と時間がかかったりします。ましてや、「この文書の、ここの部分に、こういうことを足した方がよいと思う」という政策提言系のものは、文書を読み込み考える時間+それを英語でどう表現すべきかを考える時間を含めかなり時間がかかります。
今年の秋は、9月、10月、11月と連続で国際会議への出張があり、中にはプレゼンをする機会もあるため、英語の勉強含め、やっていかなくてはならないなぁ、と思っているところです。
なんでもない近況報告になってしまいましたが、ひとまず「ブログを更新する」という目的を今日は達成したということで、これをいかに続けるかを考えながら、今日はここで終わりにします。
こんな不定期更新ブログでも、読んでくださる方、ありがとうございます。
About myself 自分のこと日々是発見
2016年8月11日
子どもたちの夏の思い出にアンパンマンプールに連れて行ってあげたいけれど昨今の体重増加で水着になる踏ん切りがつけられない岩附です。大学時代、週4日のテニスで10%台の体脂肪率だった自分のイメージがぬぐえず、現実を受け入れられません・・・
さて、夏の思い出、みなさんたくさんありますよね。
私の人生の最大のターニングポイントは中2の夏にやってきました。
家族でアメリカで2年間過ごすことになったのです。
当時の私は紡木たくの「ホットロード」「机をステージに」等の漫画に憧れ、そこに出てくる主人公のように髪の毛を染めるという大胆な行動に出ました。今でこそある程度染めている人が多い時代になりましたが、当時1980年代の日本は、駅の混雑でざっと人を見渡せば髪の毛は全員黒い、という時代です。しかも夏休み中にとかではなく、普通に、6月か7月くらいに。そんな茶色い髪で制服を着て都内の私立中学校に通っておりました。
いわゆる反抗期と、興味本位と、「オキシドールを塗ってドライヤーかけると脱色できるらしい」という噂の検証(「髪に何かしてるでしょ!」と親に詰問され、何もしてない、と白を切る私のやりとりを見た5歳下の妹が洗面所からオキシドールを持ってきて「おねいちゃんこれ塗ってた!」と告げ口し親にばれました)でした。
そんな「この子はどうなっちゃうんだろう?」と周囲が心配していた矢先の渡米。
Brookline(ブルックラインと読みます。ニューヨークのブルックリンと似ていますが違います)というボストン郊外の町に住み、その公立高校に通うことになりました。
今思えば、この2年間の経験が、私のモノの見方にすごく影響したと思います。
はじめて「日本人であること」を意識し、「考える」ことを学び、アメリカ社会の自由と寛大さと多様性に触れ、日本以外のシステムを知ったからです。
また当時、勉強が出来る方ではなかったのですが、この2年間の公立学校生活で英語が出来るようになったことは、その後の受験だけでなく、様々な機会において有利になったし、自信になったと思います。
帰国後に受けたTOEFLの点が、一発で父の点数を抜いたときに「オレのおかげだ」と言った父を、なんか張り合ってきて大人げないなと思いましたが(父の留学に家族でついていったのですが、父にとっては何年間もトライしやっと大学院にアプリケーションを送る基準点をクリアしたという経緯がありました)、父に一番感謝しているのはアメリカに連れて行ってくれたことかもしれません。
最近キャリア教育関連のインタビューなどが続き、「高校生にメッセージを!」なんて言われるのですが、そうするといやがおうにも「自分はどうだったけな」と、自分の中学高校時代を振り返ることになります。
こうして振り返ってみると、やはりあの中2の夏が人生最大のターニングポイントだったのではないか、と、40を過ぎた夏に初めて自覚するにいたったため、初の山の日の休日の午前5時にこのブログを更新してみることにしました。
ほとんど英語が出来ない状態で、完全英語の学校生活が始まったわけですが、そのあたりのドラマはおいおい書いていきたいと思います。
まるで温泉の湯船の中を歩いているような錯覚に陥る暑さが続いていますが、みなさま良い夏を!
先週から長女(4歳)、次女(1歳半)が風邪と溶連菌感染、夫も扁桃腺がはれている中、
一人家庭内で菌と瀬戸際の闘いをしている岩附です。
8月8日はACEをNPO法人として「登記」した、NPO法人化の記念日です。
おかげさまで、2005年の暑い日に台東区の事務所にトコトコ歩いて登記しに行ったあの日から、11年を迎えることもが出来ました。ACEを応援し、ご支援いただいてきた会員、サポーター、支援者のみなさまのおかげです。ありがとうございます。
(ちなみにACEの活動をはじめた「発足」は1997年なので、来年20周年を迎えます!)
こういう仕事をしていると「そんな社会のために偉いね!」なんて言っていただくことがあるのですが、私自身は自分が「好きなことをやらせてもらっている」と思っています。
児童労働の問題をなんとかしたい。そのために、その目的達成にまつわるいろんなこと(組織を運営するとか)も含めて、背負い、なんとかその目的を達成に向け近づこうとしている日々です。
昨日、税制の配偶者控除撤廃のニュースを読みながらふと、私にはこれまでNGOの代表以外にいろいろな選択肢があったし、今でも、例えば専業主婦になるという選択肢も、残されていないわけではないのだよな、ということを想っていました。
これまで派遣社員として富士通で働いてみたり、国連組織がどのように動くのかをWFP日本事務所に勤めて垣間見たり、フリーランスの通訳として働いてみたりしました。
元来怠け者で、かつ命令されることがキライな私にとって、NGO代表という職業は、「目的のために一番自分が努力をする」ことができる唯一の形なのかもしれません。もともとが結構いい加減な人間なので、もっといい加減に生きることもできたろうと思います(実際かなり仕事がいい加減だった時代もあります。。)
でもこうして、子どもが病気になって保育園に預けられなくても人に来てもらって仕事に行って、出張の際には義理の母に泊まってもらって、いろんな人に協力してもらってもとにかくこれをやりたい、そういう仕事がある、これを仕事に出来るというのは、本当に恵まれていて、ありがたいことだと思います。
昨日、ウェブサイトのトップページをリニューアルしまして、このブログが以前より目立つところに位置しているため、書かなくてはというプレッシャーを感じて、朝早く起きて、紅茶を入れて、その次にこのブログを書いています。
今年からACEに職員として入ってくれたスタッフが「職員応募の決め手はブログだったかもしれません」なんて言ってくれたので、よし、がんばろう、と思ったのですが、もしかしてこれは怠惰な私にブログを更新させるモチベーションを与えようという高度なあやつり!?
そんな私より数段上手かもしれないスタッフに囲まれながら、これからも頑張っていきたいと思います。
NPO経営/NGO組織運営日々是発見資金調達・ファンドレイジング
2015年12月17日
今年から12月は寄付月間!ということで、寄付月間推進委員会主催のシンポジウムに12月7日に登壇して、お話ししてきました!
私が話した時間はとても短かったのですが、何名かの方が「とっても印象に残った」「一生懸命メモした」「あのフレーズ、もう一回確認させてください」と終わった後に来てくれたり、Facebookでコメントをいただいたりしたので、もう一度ここに書いておこうと思います。
この日に考えたことも含めて、3点。1)寄付をお願いする側のマインド、2)日本の寄付文化、3)著名人と隠匿の美について、です。
‥続きを読む
私には2歳になる子どもが1人います。
そして、実はまた新しい命を授かり、1月に出産を予定しています。
子どもを授かること自体が本当に幸運なことなのだと気付いたのが30代後半でした。
2007年に32歳で結婚してから、しばらくは子どもができないように注意していました。2008年のG8サミットに向けた活動で重責を担うことになり、いまここで妊娠したら大変!と思っていたからです。
しかし年齢も年齢なので、40歳までには・・・と思ってその後トライしてみても、すぐ出来ると思っていた子どもがなかなかできませんでした。調べてみても、はっきりとした原因があるわけでもなく、不妊治療も試みましたが、なかなかうまくいきません。子どもを授かるということが、どれほど奇跡的なことなのかを、身を持って知りました。このまま出来なかったらどうしよう、先延ばしにしなければよかった、など、いろいろな不安や後悔がよぎりました。
幸い、2011年に子宮筋腫の手術をした後、自然妊娠し、その子どもがいま2歳。そして、また新しい命を授かることができました。現在妊娠9カ月。お腹の子どもは、日々ぐるぐると動いて、生まれてくる準備に勤しんでいるようです。
今回の妊娠がわかった5月、私の心情は複雑でした。出来れば子どもは2人欲しいなぁ、という想いはあったのですが、まさか!という感じの妊娠だったので、正直「嬉しい」よりも「どうしよう」という気持ちのほうが大きかったのが事実です。子育てと仕事の両立のジャグリングにも慣れてきて、10月にはインド出張に行くつもりで、来年に向けてバリバリ働くぞー!、という気持ちと、相棒の白木も結婚したばかりで、これから出産をするかもしれない、という想定がある中で、私だけ先に2人目なんて・・・、と。財政的にも課題が多く、自分が仕事を休むことの影響を考えると、ただでさえ十分な責任を果たせてない気がするのに、どうしよう、言えない・・・というような気持ちでした。スタッフに話して、みなが喜び理解を示してくれるまでは、申し訳ない気持ちのほうが大きかったのです。
それに加え、5月~7月は、前回よりもひどいツワリで、でも妊娠初期なのでなかなか説明も出来ず、しかし講演など代わってもらえるものでもなく、頭がまわらずしんどい中で仕事をしながら、かなりどんよりとした2か月半を過ごしました。8月からは、妊娠糖尿病と診断されて血糖値を測らなければならず、高齢出産のハイリスクさを身を持って知りました。先月、今月は妊娠後期に入り免疫力が低くなっているのか、風邪をひいたり体調を崩したりして、かなりまわりに迷惑をかけてしまいました。
そんなこんなの妊娠生活でしたが、幸い赤ちゃんは順調に育っていて、うまくいけばあとちょうど1カ月で、生れてきます。1月から3月末まで、出産・育児休暇をいただき、4月から職場復帰する予定です。関係者のみなさまにはご迷惑をおかけすることもあると思いますが、新しい命を授かったことに喜び、出産後の体調を立て直しながら、少しの間赤ちゃんとの時間を過ごさせていただきます。ご理解・ご協力をどうぞよろしくお願いします。
というわけで、4つめのサンキューは、神様のお計らいへ。
神様、命を授けてくれて、サンキューです!
児童労働日々是発見資金調達・ファンドレイジング
2014年11月7日
本日大阪でCSRがテーマの企業向けの講演だったのですが、ACEとしてあまり周知できていなかったにも関わらず、ACEマンスリーサポーターの方が2名話を聞きに来てくれました!おひとりの方とは本日初対面で、どういうきっかけでマンスリーサポーターになってくださったのかをお聞きし、ACEがなかったら出会っていなかったであろうそのつながりが出来たことに、あらためて嬉しいな、と思いました。もうひとりの方は、もう長年ACEのご支援をいただいている女性。先日電話でもお話したばかりだったので、子育ての話などプライベートなこと含め顔を見てお話が出来てうれしかったです。
というわけで3つめのサンキューは、ACEを応援してくれているマンスリーサポーター、会員、寄付者のみなさんへの、ありがとうです。
ACEにはサポーター・会員あわせて定期的にご寄付・会費をいただいている支援者の方々が約500名いらっしゃいます。みなさんが私たちを信じてお金を託して下さっているからこそ、私たちは活動を続けることができます
またこれまで大口の寄付をいただき、助けられたこともありました。
ACEが法人化を目指していた2004年、どうしても1人事務局員を置きたいので、お金が必要なんです!とお願いし、300万円をご寄付くださったHさん。あのお金がなかったら、今事務局長をしている白木が会社を辞めてACEの専従になることは出来なかったですし、その頃からACEの活動が発展を見せたことを考えると、あの300万がなかったら、今のACEはなかったといっても過言ではありません。
印税を寄付したいと電話をかけてきてくれたMさん。その時はちょうどあてにしていた助成金に落ちた時で、とても資金に困っていました。助成金に落ちたという知らせを出張中のガーナで受けた時のショックは今でも覚えています。Mさんに相談して、その助成金で出せるはずだった人件費に充てさせてもらうことを了承してもらい、ご寄付をいたただき、なんとか息を吹き返しました。やはり、あの時あのご寄付がなかったら、今活躍しているあのスタッフの活躍もなかったかもしれません。
ビジョンサポーターという制度を作って、10万円単位のご寄付をお願いにいった時。10万円という金額は、そうそうさっと出せるものではありません。しかし、「せっかくきてもらったし、ご寄付しましょう」と快くご寄付を申し出てくださった人生の先輩の方々にも、本当に励まされました。ご寄付をいただくというのは、私たちの活動の価値、効果を認めていただき、ACEの存在価値を証明して下さるものだからです。
法人からのご寄付も、やはり人との信頼関係があってこそ。現在インドで実施しているピース・インドプロジェクトも、ご提案させていただき、組織として支援を決定していただいた当時のご担当者なしには、はじめられなかったと思います。またガーナのプロジェクトも、児童労働に取り組むACEをパートナー団体にしようという当時の森永製菓の1チョコfor1スマイルご担当者のご決断がなかったら、支援地拡大は出来ていませんでしたし、その次のご担当者が実現してくださった支援地のカカオを使ったチョコレートへの道も、開けなかったと思います。
こうしてみると、本当に多くの方々に支えられてきましたし、今も支えられていることを感じます。ご寄付をいただくというのは、その方の「児童労働をなくしたい」というお気持ちを私たちがお金という形で受け取り、事業を実施してその夢に向かって実現させていくということだと思っています。
私のモットーは「人とつながり、力を引き出し、社会をかえるエネルギーを生み出す」こと。ご寄付をいただくのも、その方とつながり、その方、あるいはその方の所属する組織の力(ご寄付)を引き出し、児童労働のない未来に向けて使わせていただくこと、と置き変えてみれば、その通りなのかもしれません。
私が目指しているのは「1人1人の可能性が花開く社会」です。そのためには、教育が必要で、それを阻害するのが児童労働です。
児童労働に反対するグローバルマーチに参加していたフィリピンのごみ山に住んでいる女の子を、数年後に訪ねたことがありました。ジェシカという女の子で、彼女はNGOの支援を受けて大学に通っていました。
建築を学んでいる彼女に「教育ってどんな意味があると思う?」と聞いたら、「教育を受けなかったら、自分が建築に興味があって、好きだってことがわからなかったと思う」と言っていました。自分の可能性を知り、それを開花させるためには、教育の機会が必要です。1人でも多くの子どもが児童労働から解放され、教育を受けて、自分の将来を希望を持って語れるようになる、それが私の夢です。
39のサンキューの3つめは、これまでご支援くださったみなさんへ。
本当に、本当に、ありがとうございます。
しかし、夢を実現させるためには、まだまだ多くの個人、法人のご支援を必要としてい
ます。これからご寄付いただくみなまには、Thank you in advanceということで!
前もって、そのご支援にここで感謝し、3つめのサンキューとしたいと思います!
今週は講演ウィーク。水、木、金と3連ちゃんでした。
大阪出張の帰りの新幹線で、このブログ記事を書いています。
火曜日に行った講演は、我が母校、桐朋女子の中学2年生の総合的学習の時間。卒業生が9人も呼ばれていて、中学2年生のみなさんが誰の話を聞きたいか自分で選んで、在校中に学んだことや、今やっている仕事の話を聞く、というものでした。
卒業してから、話をしにいくのはこれで3度目です。こんな形で母校に戻ることがあるとは、思っていなかったなぁ。
講演は、はじめに私の桐朋生活の写真等をちょっと見せて、桐朋の思い出を振りかえってから、今の仕事の話をしました。
1年の最大のイベントである体育祭で、応援企画をしていたこと、800メートル障害リレーで新記録を出したことなど、もっぱら授業外活動でいかにいろいろなことを学んだか、気付けば今も「みんなで何かを成し遂げる」ということが好きという話をしました。女子高にもいろいろなタイプがあると思いますが、桐朋女子はアクティブな、そしてゴーイングマイウェイな子が多いような気がします。5月の体育祭は学年対抗なので、中1から高3の6学年対抗でだいたい高2か高3が勝つことになります。それ以外にも文化祭(9月頃)は高校3年英が一番盛り上がりますし(受験なのに!)、それなりにみんな進学するのですが、勉強以外のことも熱心な学校だったのです。
私は優等生タイプではなく、校則違反のリュックを校長先生に直に怒られたり、ピアスを注意されたり、授業中もぺちゃくちゃしゃべったりと、どちらかというとよく怒られていたかもしれません。でも今振り返ると、それがいやな怒り方じゃなかったな、と思います。大人になってから改めて、いい先生たちだったのだな、と思います。
実は私は小学校から桐朋なのですが、今年の夏には、校舎が建て替えのため壊されるということで同窓会があり、そこでも懐かしいみんなや、大好きだった先生との対面をして、楽しい時を過ごしました。この小学校の担任だったO先生も、私たちが初めて担任を持ったクラスだったこともあり、本当に愛情を注いでくれました。親や親族以外に最も愛情を注いでくれた初めの人だったかもしれません。卒業式の時に「僕はみんなを愛しています」と言われたので、親族以外で愛しているといわれた男性は、O先生がはじめてです(笑)。
そして、何よりもかけがえのない財産が、友達です。
ちょうど先週末には「ダブル成人式」と題し、桐朋女子の卒業生が20人以上集まって、みんなで食事会をしました。海外で暮らしている友達の帰国にあわせて集まり、夜の部では、久々の人も含め、これまでの人生の岐路を振り返り、うひゃーそれは大変だったね!よくがんばった!とたたえ、これからの人生の健闘を祈って!?わかれました。今はFacebookでつながっている同級生も多く、なんとなくお互いの状況がわかっていることもあって、久々に会ってもそんな感じが全くしないのですが、きっとFBがなくてもすぐうちとけて話せて、お互い「変わってないねー!」って思えるのが、桐朋生の楽しく楽なところです。考えてみれば、なかなか人に話せない家族のことや、人生の迷っている時に、相談したい友達は、桐朋生が多いかもしれません。
6歳から、もしくは12歳からのつきあいで、これまでの恋愛遍歴!などを含め互いに知っている特に仲の良い友達たちは、そこにある安心感と信頼度は家族同様、いやそれ以上かもしれません。
というわけで、39のサンキューの2つ目は、桐朋にサンキュー!
私の人格形成に大きな影響を与え、人生のかけがえのない友を作ってくれた学校。
特に今年は、40を目前にしてその影響がいかに大きかったか、実感した1年でした。
<高校3年生の体育祭。ドラクロワの絵は放課後残って美術部の子たち中心にみんなで絵を塗りました。この前で
学年350人でひとつのパフォーマンスをくりひろげる「応援」を企画し、指導するのが応援企画です。この写真は多分、優勝が決まって、みんなで記念写真をとっているところ。私は真中らへんでピンクのTシャツを着てます。本当はかけてはいけないパーマがかかってます>
NGOの裏話NPO経営/NGO組織運営日々是発見
2014年11月2日
2014年10月10日に発表されたノーベル平和賞は、本当にうれしいサプライズでした。
マララさんら2人と発表された「ら2人」のほうのカイラシュ・サティヤルティさんは、
実はACEを立ち上げたきっかとなった人だったからです。(ちなみに取材が殺到して、
大変でした。。。)
実は私がACEをはじめたのは、カイラシュさんが世界中に賛同を呼びかけた
「児童労働に反対するグローバルマーチ」が発端です。
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昨年、39歳になった時に「記念に39のサンキュー(39)を書いてみる」と
Facebookで始めたものの、途中になっていた「39のサンキュー」プロジェクト。
何度も思い出しては書き続けられずにいたのですが、昨日のこと。
もう11月1日かぁ、今年もあと2カ月、私の誕生日まであと1カ月半か、、、、
ハッ!
このままでは39のサンキューを書き終わる前に40歳になってしまう!
ということに気づきました。
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お知らせ・報告児童労働日々是発見資金調達・ファンドレイジング
2014年10月16日
昨晩は、2014年のノーベル平和賞が発表になってから初めての講演でした。講演の最後にご支援をお願いしたのですが、ちょっと言い足りなかったな、と感じたのでブログにも書いておこうと思います。
10月10日の夜から昨日まで、ノーベル平和賞を受賞したカイラシュ・サティヤルティさんに関する取材をTV、新聞各社から受ける中で思い出したのが、1998年の「児童労働に反対するグローバルマーチ」が実施された時にカイラシュさんが語った言葉です。
正確には
「児童労働がなくならないのは貧困が理由ではない。
政治的意志が足りないから、児童労働がなくならないのだ」
英語では、“Lack of political will”とおっしゃってました。
私は、カイラシュさんのこの言葉に、すごく納得しました。
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宮城県山元町に来ています。山元町は震災後災害ボランティアセンター運営支援としてACEのスタッフ全員が支援に入り、その後も細々と支援を行ってきました。
今回の訪問の目玉は、子育て支援サークルでのリトミックの開催。講師としてお連れした石丸由理先生は、リトミックの国際資格をお持ちの知る人ぞ知る大御所の先生です。
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この人に会って話を聞いた!企業の社会的責任(CSR)日々是発見
2014年3月24日
3月20日(木)、かわさきコンパクト・フォーラムに参加してきました。
国連グローバルコンパクトに自治体として署名している川崎市は、独自にかわさきコンパクトなるものを作っています。
http://www.kawasaki-compact.com/
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2011年3月11日の震災の日、みなさんはどこで何をしていましたか。
私はちょうど子宮筋腫の手術を受け退院する日で、夫が運転する車で 家に帰る途中に地震が起きました。
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9月28日、29日と仙台で住友商事の助成する「東日本再生ユース・チャレンジプログラム」で助成金を受けている団体や学生グループが活動の中間報告をする機会があり、選考委員として私も参加させていただきました。
オルタナの森さんも来ていて早速記事に→http://www.alterna.co.jp/11702
学生のプレゼンもみな上手でそれぞれ個性が出ていたし、一生懸命さがすごく伝わってきて、もうおばさんそれだけでも涙でそう!というぐらい感情移入して聞き入ってしまいました。それぞれの活動のいいね!と思ったことをほめるだけでなく、活動歴が長いおねえさん(と住友商事の奥谷部長が言ってくれたのですが、いつまでお姉さんというのが許されるんだろう)として、アドバイスめいた進言もお伝えさせていだきました。
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大学院の先輩の佐渡さんから「いわつきちゃーん」と電話がかかってきたのが昨年の前半、私が産休に入るだいぶ前のこと。 ‥続きを読む
育児日記ほど筆がすすまない本の原稿を早起きして書いていたら、夫が起きてきた。 ‥続きを読む
5年日記なるものをつけはじめて2冊目で初めて10月26日の欄の右上に「原子力の日」と書いてあることに気づいた。ぎょぎょっ、とした(サカナクンではない)。 ‥続きを読む
私事ですが、いよいよ出産まであと19日となりました。今年はACE設立15周年事業もあり、仕事面でも第一線を離れることに後ろ髪引かれる思いがあります。 ‥続きを読む
2日間の短い出張でしたがまるで「子ども参加」の神様が導いてくれていたような2日間になりました。 ‥続きを読む